いのちの食訪問

欧米人が日本の牛肉にびっくりするのは、その柔らかさである。
 こんなのは肉じゃない、といって軽蔑する人もたまにはいるが、それは慣れないからで、在日生活が長く なると十人中九人までが和牛を選ぶようになる。
 欧米人と一括(くく)りに言ってしまったが、ヨーロッパとアメリカでは牛肉はかなり違う。
 ヨーロッパ諸国は国土がそれほど広くないので、乳牛と食肉専用種とを別々に飼う余裕がない。同じ牛で、乳もよく出る、肉もうまい、というのを求めて、長い年月、改良の努力を続けてきた。
 広大な国土に恵まれたアメリカやオーストラリアでは、食肉専用の種類の牛をもっぱら飼育している。
 ヘレフォード、アンガス、ショートホーンの三大肉用牛がそれだ。
 これらの牛肉は、肉のきめが粗く、脂肪が細かく入らない。霜ふり肉にならないのだ。われわれが輸入肉に不満なのはこういうところなのである。
 肉が固いのもアメリカの牛肉の特徴だ。アメリカのジョークにはビフテキの固さをからかったのがゴマンとある。アメリカ人の太い腕とでっかい図体は固い牛 肉と長年格闘しつづけてきたことから生まれたものだ。だから、彼らは日本の牛肉のやわらかさやうまさに驚嘆するのだ。
 さて、うまい牛肉といえば、松阪牛である。
 子供でも知っている。アメリカ人でも知っている。世界に冠たる牛肉のブランドである。
 毎年11月28日に松阪で開かれる肉牛共進会は、年々盛大になってゆき、今日では、世界が注目するイベントになっている。
 注目されるのは勿論、牛のセリである。平成元年には一頭の牛に4,952万円の値がついて大きな話題になった。この記録はその後まだ破られていない。
 輸入肉を国産牛肉と偽ったり、近年は、牛肉に関する不正行為が頻々と起こるが、松阪牛については、厳格な規定が設けられていて、不正を許さない仕組みになっている。
 雲出川と宮川の間の地域で、6か月以上飼育された処女和牛であること、特上肉であること、松阪肉牛協会の加盟店で販売されたものであることなどの条件を満たしたものでなければ松阪牛とは呼ぺないことになっているのである。
 だが、この厳格な規定の中に、
「松阪牛は松阪で生まれた牛でなくてはならない」
 という項目がないことに気づかれた読者はどれくらいいらしただろうか。
 日本人というのは、両親が日本人であり、大部分が日本で生まれ育っている。同感に、松阪牛というのも両親は当然松阪牛で、松阪で生まれ育った牛だろう、とおおかたの人は思っているのではないだろうか。
 違うのである。松阪で生まれた松阪牛なんて一頭もいないのだ。松阪牛の両親も松阪牛ではないのだ。
 中央畜産会が平成7年に発表したところによると、全国に149の銘柄牛がいるとのことだが、その銘柄は、牛が育った土地の名前になっていることがほとんどである。
 牛は育て方によって良くも悪くもなるものだが、やはり、もって生まれた遺伝-血統が基本であることはいうまでもない。いい血統の牛の生後7か月から8か 月の仔牛を連れてきて、丹念に育て上げたのが銘柄牛なのである。この連れてこられた仔牛のことを素牛(そぎゅう)という。
 先に述べた149の銘柄牛の66%は和牛で、さらにその中の59%は黒毛和種である。
 その黒毛和種の中で、最もすぐれた素質を持っているとされるのが、兵庫県の北部の但馬地方で生産される但馬牛である。
 松阪牛はこの但馬牛を素牛とした銘柄牛なのだ。

但馬牛を素牛にした銘柄牛は他にもいくつかある。近江牛もそうだし、神戸牛もそうだ。全国的によく名前の知られている肉牛の素牛は但馬牛が大変多い。
 最近、にわかに評価が高まっている三田(さんだ)牛もそうである。
 今回は、その三田牛の産地である兵庫県三田市を訪問した。
 三田市は、兵庫規の南東部に位置し、神戸市街地より六甲山系を越えて、北へ約25キロのところにある。兵庫県では神戸市、姫路市についで広い面積をもつ市※だが、北部から東部にかけては標高500から700メートルの山々が連なり、平地面積は狭い。昔は、どこを歩いていても、山や狭い平地に牛の姿を見かけたものだったという。
 市になったのは昭和33年だが3万年も前からこの土地には人が住んでいた、といわれている。
 神社も多く、神道にちなんだ地名も数々ある。信仰心の厚い土地柄だつたようだ。
 市制が布かれてから急激に人口が増え、3万人ほどだった人口が現在では11万人にも達している。
 以前、牛の群がのんびり歩いていた平地部や山の裾野などには、鉄筋コンクリート、多層建築のニュータウンが次々にできて、神戸や大阪へ通勤するサラリーマンが増えた。
 「もうこの辺ではゆうゆうと牛を飼うとるわけにもいかんですなあ。うちも牛飼いはわし一代でおしまいやろう」
 私たちが訪ねた三田市東本庄の畜産農家仲義之さんは、意外にさっばりした表情でこういっていた。
 仲さんはJA兵庫六甲肉牛生産協議会会長であり、また三田市肉牛生産振興会会長でもある。
 そういう人でも後継者難の悩みから脱出することは難しいらしい。二人の息子さんは、ともに公務員になってしまって、牛飼いの家業を継ぐ気はまったくない、とのことなのである。

※1平成14年8月現在

「国牛十図」という本がある。甯直麿(ねいのなおまろ)が描いた牛の図鑑で、延慶3年(1310年)に刊行されている。この中で、但馬牛は、「ほねほそく宍かたく かはうすく腰背まろし つの蹄ことにかたくはなのあなひろし 逸物おほし」と記述されている。
「ほねほそく」は「骨細く」、「かはうすく」は「皮薄く」 であり、「宍」は筋肉のことだ。「逸物おほし」と高く評価されている。
 丹波牛や淡路牛についても書かれているが、但馬牛ほどには褒めていない。
 天正11年(1583年)、豊臣秀吉が大坂城を築いたとき、全国から牛を徴発して役(えき)用に使ったが、但馬牛の働きが抜群で、奉行が「国民の宝、耕作の長たり」と文書で褒めたという。
 但馬牛の資質が優れているのは、但馬地方の地勢、気候などの環境に負うところが多い。山々には野草が豊富に繁り、至るところに豊かな水が流れている。岩 の多い山道はそこを上り下りする牛たちの蹄や体を鍛える。湿気の多い気候は、牛の毛並みを柔らかくするのにいい。
 山の多い但馬地方の農民は、耕地に恵まれず、冬期の酒作りの出稼ぎなど畑仕事以外にも収入の道を求めなければならなかった。
 牛飼いも貴重な収入の手段であった。人々は、熱意を注いで、牛の飼育に当たった。
〝但馬牛&神戸ビーフ″フェスタinひょうご実行委員会が発行している『新但馬牛物語』では、但馬牛の特性として繁殖性と肥育特性を挙げている。
 牛は1年1産で、1回に1頭しか産まない。豚や犬や鶏の卵みたいに複数の子供は産まない。だから毎年確実に丈夫な子供を産んでくれないと困るのだが、但馬牛の繁殖性は非常にいい。
 但馬牛は純粋性を保つために近親交配が多い。一般に、近親交配すると繁殖性が悪くなるのだが、但馬牛にはそれがないのだ。
 欧米の牛肉にくらぺて、和牛が断然うまいのは俗に「サシ」といわれる脂肪交雑によるものだが、但馬牛は和牛の中でももっともすぐれた脂肪交雑ができる。
 牛肉の中の最高級の部位はロースだが、但馬牛の特徴は、このロースの芯といわれる胸最長筋が太いことでロースがたくさん取れるのである。

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