いのちの食訪問

緑滴る山々、谷を吹き渡る風、豊かな水― 兵庫県北部・但馬地方で生産される「但馬牛」は〝世界一の牛肉″と賞賛される。700年もの昔から家族同然に育まれてきた但馬牛は、日本各地の銘柄牛の素となり、神戸ビーフという別称でも世界に愛されている。そんな但馬の仔牛を「一頭飼い」で慈しむように育てる三田市の牛飼い名人・仲義之さんを訪ねた。

 「牛を上手に育てるコツはなあ、ストレスや嫌な心持ちを味わわせないこと」―全国各地の品評会で勝ちとったトロフィーの数々と、賞状に囲まれて仲義之さんはこう笑う。木枠の牛舎には「一頭一頭の血統書の横に花が飾られ、炎暑の夏には扇風機で風が送られる。飲み水はミネラル豊富な井戸水だ。牛の巨体にブラシをかけてやると、日を細めた牝牛は仲さんに身を預けんばかりだ。「趣味と実益ですわ」。こういいながら仲さんが、牛舎に入ると、牛たちが首を伸ばしてペろペろと仲さんの足を舐め始めた。

 十年くらい前のことだが、日本にやって来たフランスの使節団が松阪牛のステーキを食べて、 「日本人は世界一うまい牛肉を食べている民族だ!」と驚嘆した、という話を新開だか、週刊誌だかで読んで首をひねった記憶がある。
 私は肉はあまり食べないほうで、したがって関心も薄い。食肉についての知識も乏しい。だから、もとも と農耕民族で魚は食べたが肉食はしなかった日本人が世界一うまい牛肉を作れるわけがないではないか、と単純に不思議がったのである。
 しかし、これは単に私の物知らずでしかなかった。食通の友人たちに聞いてみると、日本の牛肉、和牛のうまさは、日本人よりも、肉食民族である欧米人のほうがよく理解していて、今では世界的な定評になっているのだそうだ。
 仏教信仰の関係で、肉食禁止の長い歴史を待った日本人がどのように牛肉とかかわり、どのようにして世界一うまい牛肉を作り出すことができたのか。そんなことが今回のテーマである。
 まずは、日本人が牛肉をはじめて食べたのはいつ頃で、それはどんなきっかけだったのか、である。
 第11代垂仁天皇(紀元前29~後70年)の御世に朝鮮半島から新羅の王子で天日槍(あめのひぼこ)という人が日本にやって来た。この人が但馬(たじま)の国を開いたのだが、来日した時に牛を連れてきた。これが但馬牛の元祖ではないか、と『牛肉と日本人』という本に書いてある。著者は、京都大学名誉教授で、農学博士、経済学博士の吉田忠氏である。
 もっとも、これは神話であって、近年の考古学や歴史学の研究結果によると、家畜としての牛は、古墳時代後半の5、6世紀に主として朝鮮半島から渡来した、とされている、と吉田氏はいう。
 牛を連れてきた朝鮮半島人は、牛を耕作に使うとともに食べもした。しかし、その頃の日本人は、野獣や野鳥は食べたが家畜を殺して食べる習慣はなかった。
 家畜の牛を食べるようになったのはかなり後のことだろう、とのことである。
 日本の食文化はほとんど中国の影響をこうむっている、と以前に書いたが、牛肉食いに関しては、朝鮮半島に負うところが大きいようだ。今日、朝鮮焼肉料理店が日本全国に展開しているのも歴史的由縁のあることだというぺきだろう。

おいしさの秘密

週刊新潮  平成14年8月29日号

塩田丸男のいのちの「食」訪問Vol.114

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