江戸時代、三田周辺は年貢米の上納方法として、百姓の牛に年貢米を荷負わせていました。現代のような農業機械もない時代には、古くから水田の耕作に牛が活躍していて、農家の多くが牛を飼っていました。当時の三田周辺では、牛は農業の宝と考えられていて、牛を大切にしているかどうかはその牛が肥っているかどうかで判断されました。 毛艶が良く丸々と肥った牛を連れていけば、農業に熱心であるとして藩主より「ごほうび」がありましたが、かえって、痩せた牛を連れていけば一村の恥とされたことから、牛の肥満をはかる習慣が盛んに行われ、その技術にも優秀な三田牛は当時から有名でありました。
明治維新後、神戸が開港されて外国人の居留地ができ、食肉需要が高まったので、牛肉にするために三田の牛が買い取られては盛んに神戸へ搬出され、肉牛として大いに名声を博したと言われています。
(参考文献:「新但馬牛物語」"但馬牛&神戸ビーフ"フェスタinひょうご実行委員会発行
(2000) )